大学卒業後は、そのまま大学院に進学した。 研究テーマが反応解析なのだが、内容が2年でやるには無茶すぎる。 最低でも結果を出すには、5年は必要だろう。 主生成物を解析するのは容易だ。しかし、副生成物を解析となると、ほかに成分が存在しないことを証明する作業が入ってくる。 これは容易なことではない。現設備でやるには、設備不足といっていいだろう。 教授は必要に2年で出すように言ってくる。できなければ無能な人間だと考えているのだろう。 自分は、現設備では不足点と、現状ではできて主生成物の解析までであることいった。 だが、教授は聞こうとしない。仕方ないので、すべての解析をやることになった。 不足している点は、時間と労力で補うことにした。 8時半に大学にきて、夜0時に大学を出る。そして年末年始の4日間のみの休日という生活が始まった。 それでも、思っていた以上に進捗はよくなかった。 それだけではない。研究室内の環境は著しくひどい状況になっていた。 教授は学生に指示を出す。しかし、指示する内容があまりにも適当すぎる。学生は意味も分からずやってしまったようで、事故がおこった。教授は、指示通りにやらない学生が悪いといった。自分は、そうではないでしょといったように思える。たびたび事故が起こり、このやり取りを数回やった。10月ごろ、再び事故が起こった。教授は、指示通りにやらない学生が悪いに加え、自分には責任はないと言い切った。無責任すぎると思った。このとき、怒ったことを覚えている。研究の大枠はあなたが作りなさい。細かい手順は自分が作る。一切口出すなといったと思う。これ以後、細かい手順は自分が作った。研究室内の備品の確認なども自分がやった。本当は、こんなことをやっている余裕なんてないのにね。 こんな日々が続き、体に限界が訪れていたようだ。食事を口にしても、のどに通すにもつらい日が続き、みぞおちあたりが、いつもと感覚が違うように感じた。ついには嘔吐する日が出てきた。しかし休むわけにはいかない。教授が思い描いた結果でなければ修了証認定を出さないことは、かねがね言われていたことだからだ。だからペースを落とすことなく続けた。 あるとき、入学希望者の減少が問題になった。定員割れを起こしていることが重大視された。 研究活動の方向性を話をしたと思う。教授はわが道を行くという感...
FIREを志して資産運用する会社員の奮闘記 ほか、自転車、ゲームなど不定期に掲載