小学2年生の後半ごろから中原公園西側の空き地が宅地開発された。秘密の遊び場にしていたのでなくなってしまったことは少し残念です。小学3年生に上がり、始業式が終わり、クラス替えがなされた。新学期初日、多分この年だと思う。一人ぽつんと座っている女の子に目に留まった。暗く、さみしそうな顔していた。自分はなぜだかわからないが、声をかけた。なんと声をかけたかは覚えていないが、少し微笑んで一緒に遊んだ。その後も自分は、一人で遊ぶことが多かったが、その女の子を中心として一緒に遊ぶことが多くなった。印象に残っているのは、「ケイドロ」や「だるまさんがころんだ」、ドッジボールで遊んだことである。その他、休憩時間を使って、その当時流行していたチョコボを使った絵を書いてその女の子を笑わせたりした。ともに行動することはあまりなかったと思うが、何年生だか覚えていないが、保健委員をやったときは、当番制で昼時間に保健室に一緒に行動することがありました。けが人が来ると、少し戸惑って動けないところがちょっとかわいいと思ったりもする。自分はけがをよくするから、何とも感じないので、傷口を洗って消毒して、ガーゼを当てて包帯で巻いて終了させたことを憶えている。
当番で一緒に行動することが何度かあったが、その女の子は、保健室内にある本を手に取り、自分を呼び、見せるのです。とても明るく、微笑みながら言うのです。保健室で一緒に行動しているうちに、なぜだか、自分の中の何かが満たされる感じがしたのを憶えている。この時思ったことは、好きになるってことはこういうことなのかなと思ったことです。でも自分はその女の子に「好きだ」とは言っていない。なぜなら、とても明るく微笑みながら話しかけてくる姿を見て、自分にはもったいない、高嶺の花だと思った。もしその花を手にしてしまったら、その美しさを失って枯れてしまうのではないかと思ってしまったからだ。
だから、ずっとその思いを伏せて友達として接することにした。今思えば、チョコボを書いて笑わせていたのは、きっとその女の子の笑顔を見たかったからだと思う。
保健委員の仕事としてインフルエンザの予防についてプレゼンすることになり、手書きのポスターを作り、1学年のクラスでプレゼンをしたの覚えている。その女の子はポスターの端を持って、自分もポスターの端を持ち見えるように掲げ、プレゼンは自分がやった。クラスの子は、お構いなしのはしゃぎ様で、自分は半分呆れて苦笑していた。ふと女の子を見ると軽く笑みを浮かべていたのを憶えている。
学校以外で遊んだことは一度だけある。その女の子の家に招かれて遊んだことである。何で遊んだかは覚えていないが、1~2時間程度遊んだと思う。
小学5年生になったとき、クラスの一人が転校することになった。お別れ会をすることになったのだが、その会で「好きな人を言ってください」というお題が出されたことを憶えている。いろいろ議論が巻き起こったが、クラスの皆がいうのであれば、お別れをするその女の子も言うということになった。クラスの皆は、きゃっきゃっ言いながら、顔を赤くして好きな人の名を言っていた。自分は、好きな人の名を言わず、別の人の名を言った。なぜなら、その当時の好きという感情は、きっと大人になったときの好きとは別のものだと思っていたし、大人になったとき好きでなくなっているかもしれないと思ったからだ。だから、楽しい時間も、その女の子といた思い出もすべて、自分の中にしまっておこうと思った。卒業するその日まで自分はその女の子とは、友達として接した。
卒業式の時、引っ越すことは既に決まっていたので、言っておこうかなと思ったのだが、「思い出話2」に掲載したが、度が過ぎるいじめがあり、二度と会わないと心に決めていた。だから、何も誰にも言わずに、卒業式が終わったとき、荷物をまとめて学校を去り、そのまま引越しした。
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